キャリア
キャリア
12月14日(水)、高校1・2年生を対象にキャリア教育講演会を開催しました。今回お招きしたのは、国立研究開発法人産業技術研究所(産総研)創薬分子プロファイリング研究センター分子シミュレーションチーム・研究チーム長および筑波大学教授(医学医療系生命医科学域)である広川貴次さんです。コンピュータを用いて創薬を行う研究者であり、その分野の第一人者としてご活躍されています。広川さんの研究分野である「IT創薬」をはじめ、キャリアパス、学生時代のことなどをお話いただきました。
産総研の創薬分子プロファイリング研究センターは、「薬を知り尽くす」をテーマに設立され、ロボットによる実験やコンピュータシミュレーションの技術を活用しながら、産学官が一体となって先端の創薬技術を担っています。
広川さんの研究分野である「IT創薬」とは、インシリコ創薬とも呼ばれ、コンピュータ上で仮想的に医薬品候補物質を設計・評価するものです。コンピュータによる理論的な創薬によって、新薬を開発するコストを削減することができます。これにより、これまで患者数が少なく介入することが困難だった稀少疾患への介入が促されることが期待されています。
コンピュータで薬をつくるするとはどういうことか?
私たちになじみのある鼻炎や花粉症薬、インフルエンザ治療薬「タミフル」を例に、立体的な構造図を用いてビジュアル化して説明してくださいました。
たとえば、現在あるさまざまな鼻炎薬の主成分の構造式をコンピュータで重ねてみると、鼻炎薬に共通した特徴を見つけることができます。この特徴を押さえた上でシミュレーションをしていくと、既存の薬とは違うものが作れるかもしれないし、まだ人が知らない、効果的な物質を見つけられるかもしれないのです。
このほかにも、「鍵と鍵穴の理論」を利用した創薬についても説明。これは薬を鍵、薬物受容体であるタンパク質を鍵穴にたとえた考え方です。花粉症の場合、発作時にはヒスタミンが分泌されますが、これは薬物受容体(鍵穴)にヒスタミンがおさまると症状が出る仕組みです。ということは、ヒスタミンが鍵穴におさまるより先に、阻害物質である薬(鍵)をおさめてしまえば、症状を抑えることができます。
鍵と鍵穴理論を利用したIT創薬では、数億円のコスト削減が見込まれ、結合メカニズムの根本的な理解を進め、目で見て確認できるというメリットがあります。しかしながら、化合物は静止しているのではなく、溶液の中で動いていること、「鍵」の差し込む方向にはいくつもの選択肢があること、本来ターゲットにしたい受容体以外にも作用する可能性があることなど、現場としてはまだまだ問題が残されているそうです。
これらの問題を解決し、コンピュータを使って安全な薬を作るためには、生物学を学んでいなければならないし、化学物質の骨格も知らなければならない、そのほかにも、生物物理学、計算科学など様々な学問の複合領域を知っていなければなりません。けれども、関わる全ての分野についてパーフェクトであるか?といえばそうではないといいます。
ここで話は広川さんのキャリアパスへと移っていきます。
そもそも生物を好きになったきっかけは、小学生時代の自由研究だったといいます。沖縄で育った広川少年は、コオロギ日記、リンゴの変色、樹木調べ、池の微生物観察などに明け暮れ、この頃から科学者になりたいと思い始めたそうです。
科学熱が少し冷め、部活に熱中する中学時代を経て、高校時代。
細胞融合によって作られたジャガイモとトマトの雑種「ポマト」の存在とともにバイ オテクノロジーという言葉を知り、遺伝子工学、生体高分子などに興味を持ちました。タンパク質の「かたち」をはじめて見た時には感動したそうです。
大学は、東京農工大学工学部分子工学科に進学しました。大学時代は、「もっとも勉強した時間」。入学後に学力不足を痛感し、なかでも、化学をしっかり習得しなくてはならないと実感したそうです。
その後、生体高分子実験に興味を持ち、美宅成樹教授(当時)の研究室に。(*美宅先生には1年前、本校で特別講義を行っていただきました。)バブル景気の只中だった当時、大学院への進学を志望していたのは研究室で2人だけ。これからのために計算機を使う研究をしてほしいと美宅先生から告げられた広川さんは、計算科学について右も左も分からない中、電子情報工学科に飛び込んだり、ソフトウェアベンチャーで修行をしたり、苦戦しながら卒業論文を仕上げたといいます。
この苦難を救ったのは、1冊のプログラミング入門書。この本を見つけた新宿紀伊国屋書店の写真とともに語られるエピソードからは、広川さんの思い入れの深さが感じられました。
大学院でも計算科学に関する研究に取り組み、計算科学関連システムの会社に就職します。アメリカで先端コンピュータを用いて分子設計技術を習得したり、異分野交流をはかったりと、充実した会社員生活を送っていた広川さんにひとつの転機が訪れます。
1990年にスタートした国際プロジェクト「ヒトゲノム計画」。2003年にヒトゲノムの解読が完了すると、その膨大な遺伝データを有効活用できる生物情報科学者の不足が課題として浮かび上がりました。ヒトゲノム情報から創薬研究への橋渡しが重要であるという世間のニーズが見えてきたのです。
こうして産総研から広川さんに声がかかり、一度は断念した研究者への道が再びひらかれました。転職を相談した研究室時代の先輩には「一度きりの人生だからね」という言葉をかけられたそうです。苦手だった化学、不意の要請でゼロから取り組んだ計算科学、多分野に抵抗を持つことなく学んできた経緯が今につながったといいます。
広川さんの研究のゴールは、「ひとつでいいから、ちゃんとお医者さんが処方する、みなさんに届く薬をつくること」。そして最後に、「これまでの、そしてこれから遭遇する境遇に、無理なく、でも精一杯、丁寧に取り組んでみてください。将来、その中のいくつかが相まって、新しい道が生まれると思います」とメッセージをいただきました。
生徒からの質問にも気さくに答えていただきました。
先端研究について知るだけでなく、その最前線にいる人から直に話を聞き、その人の人柄、根底にある価値観の一端に触れられることは、今まさに将来の進路選択と向き合っている生徒たちにとって、得がたい時間となりました。