作品と踊ろうー2017基礎ゼミ活動報告(4)

授業

10月21日(土)、本科基礎ゼミナールの『文学を味わう』ゼミでは、國學院大学文学部の高橋大助教授をお招きして特別講義を行いました。基礎ゼミの3年生はこのとき、MITA International Festivalでの発表に向けてプレゼンテーションの仕上げの真っ最中でした。この日の講義前半は、各グループがここまで作ったプレゼンテーションを発表し、それに対する感想やアドバイスをもらうなどのご指導をしていただきました。

 

文学ゼミの3年生は2年次より、村上春樹短編『パン屋再襲撃』(1985年)を題材に研究に取り組んできました。この作品は1981年に発表された『パン屋を襲う』の続編にあたります。主人公の「僕」が深夜の耐えがたい空腹感のために妻にパン屋襲撃の過去を話したことから物語は始まり、妻の提案により再びパン屋を襲うことになってしまいます。しかし深夜の街中で営業しているパン屋はなく、しかたなく襲撃はマクドナルドで決行されるのだが・・・という虚実の境が曖昧な、不思議な物語です。

 

この作品に対し生徒たちは、先行論文を調べて「僕」と妻の関係や二人が抱える「空虚感」の正体について考え、「僕」の心象風景をフロイトの夢分析を参考に解釈したり、「僕」の主体性のなさに注目して解釈したり、妻に注目して作品を読み替えたりと、グループごとに異なるアプローチで作品を読み解きました。

*作品と一緒に踊る*

こうしたプレゼンテーションに対して、共通して指摘された点は、「文章そのものをもっと読む」ことでした。いろいろと調べを進め、あれやこれやと考えることに一生懸命になってしまう時、もう一度作品に戻ることでより深い理解を得ることができます。このとき高橋教授は、作品を常に傍らに置いて研究に取り組むことを、「作品と自分自身はデュオであり、作品と一緒に踊る」と表現していました。作品を読み解く過程で、紙に書かれた文字の集まりを、立体的に、姿あるものにしていくようなイメージを想起させる、「文学を味わう」ことの面白さが凝縮されたような言葉でした。


そして、もうひとつの指摘が、「時代の変化に着目する」という点です。先述したように『パン屋を襲う』は81年、『パン屋再襲撃』は85年に発表された作品です。この数年の間で日本の夜の空間はバブルに向かって大きく変化しました。そのことを象徴するかのように、2つの作品の中における襲撃の対象がパン屋さんから深夜営業をしているマクドナルドに変わっています。


明治時代と現代が変化していることは当然のことながら、数十年、数年という短い時間の中でも変化をし続けています。その変化に着目して比較すると、新たな発見があるのではないか、そして、時代が変化している、それは、みんなの時間が変わってきているということであり、みんなの「存在自体」が大きく変わってきているということだと高橋教授は言います。

*私達の生きている時間*

この話を受けて、講義後半は三崎亜記の短編小説『私』を読みながら、現代の私達の「存在」がどのようなものになりつつあるのか、あるいはなってしまったのか、ということについて考えました。住民情報データによって個人が管理され識別されるようになった世界で、もしデータが全て消えてしまったら「私」という存在そのものも消えてしまうのか?けれど、今ここにいる私が私でなくなるわけではないのではないか?そんな問題提起がなされている作品です。


現在の私達の生活の中には、インターネットやそれを介したSNSなどが当たり前のようにあり、自分の表現したことが猛スピードで世界中に流通し、自分の意思でそのデータを消去することも難しくなっています。そうした自分の体とは切り離された「自分」が存在するような世界は、私たちの姿かたちが見えにくくなっています。グローバル化により、世界は小さくなったけれど、単純になったわけではなく、くしゃくしゃと紙を丸めるように小さくした分、複雑さを増したのです。


このように、自分の生活を見回してみると、『パン屋再襲撃』の描かれた時代とはだいぶ違った世界を生きていることも分かり、面白い見方ができるでのはないか、また、村上春樹自身も、この作品を書いた当時、現代の中学生向けに書いてはいないだろから、今の空間に戻してあげる必要がある、と高橋教授はまとめました。作品に立ち返り、作品に向き合う自分自身を顧みる。この2つの点を踏まえて、生徒たちはプレゼンテーションを修正し、学園祭当日を迎えました。

*出会ってしまった責任~基礎ゼミの学び*

講義の最後に高橋教授が生徒たちに投げかけた言葉がとても印象的でした。「君たちは『パン屋再襲撃』を読んでしまった。読んでしまったものは消せない。それは読んでしまった責任があるということ。だから消化して、表現して、”継ぐ”しかない」。この文学ゼミだけでなく、基礎ゼミで学ぶ生徒たちは皆、望むと望まざるとにかかわらず、「出会ってしまった」ものたちのことを一生懸命考え、表現しようとしています。つたないながらも、出会ってしまった責任を果たすべく行った学園祭のプレゼンテーションやポスターセッションは、「学ぶ面白さ」を共有した来場者へと受け継がれたのではないでしょうか。

PAGE TOP